意識の感覚

眠っている時間が好きではありません。

共感

※2020年度の授業にて書いたエッセイを修正して投稿

 

『なぜ、私は「挫折」がわからないのか。』

挫折とは何だろうか。受験に失敗することか、勉強につまづくことか。それとも、自分の志す芸事でスランプに陥ることか。試しに「挫折」で辞書を引いてみたら「仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。」と出た。理解はできたけど、私にはその感覚を記憶から引っ張り出すことができなかった。

私には「挫折」の語彙が少ない。それはおそらく、私が世間一般によくいうような挫折をしてこなかったからだと思う。勉強はずっとマイペースでやってたしやりたくないときは絶対にやらなかったけど、中学校でも高校でも、成績とか順位はトップクラスだった。小中高大全て公立・国立に行くことができて、死ぬ気で勉強なんかしなかったし何かを封印したこともなかったけど、高校受験では部活で選んだ第1志望の高校に前期で余裕で合格して、大学受験の時も、夏の吹奏楽コンクールに参加して 9 月上旬まで思いっきり部活を楽しんでいたけれど、公募推薦で国立大学に合格できて。その部活でも、確かに技術が伸び悩んだときはあったけれど、部活は楽しかったし私は自信過剰な人間だったからそれはただの成長の過程の一部に過ぎなかった。だから、成績優秀で、3 年次の吹奏楽コンクール東関東大会では金賞を獲って、大学も公募推薦で国立に行って、早々にまた部活に復帰してディズニーでのカウントダウン演奏にも参加した私は、高校で「全てを叶えた人」と言われるくらいには成功者だった。挫折はどこにもなかった。

でも、私は私の人生に挫折がないことがすごく不思議だと思う。それは、表面上では順調に見える私の人生には、あまりにも傷つきの体験が多かったからだ。幼稚園から中学校卒業までには違う人たちから違う理由で複数回のいじめを受けた。小学校高学年の頃には 父親の行動によって母親が鬱になって様々な辛いことが起こった。しばらく父親の行動も収まらなく、事態は小学校卒業まで長期化した。私はずっと母親と弟の面倒を見ていた。中学校になると、弟が発達ボーダーであることがわかり、家族のコミュニケーションが取りにくくなってきた。いじめ、両親の問題はその時々でとりあえず解決することができているが、弟の発達障害の話はいろいろなことに発展していて、特に弟と父親が喧嘩をする時は、母親が仲裁に入るもどうにもならず、最終的に私が介入し事を収めることが多く、その度に私は精神を削っている。

こんなふうに、語ろうと思えば私の背負っている傷はたくさんあって、他人と比較するわけではなく、自分の中で非常に重たいものが多い。これだけ苦しいことを経験するのならば、 私は自分の中に挫折する要素はたくさんあったのではないかと思ってしまう。例えば、家族の不和の影響で自分のやりたいことに集中できなくなってしまい、思うような進路を辿れない、とか。しかし、それどころか私は表面上は成功者になっていた。嫌味な話かもしれないけど、私はそれが不思議で仕方なかった。

「心の傷」とは

大学生になって、部活という熱中していたものから離れたことで心に大きな余裕ができて、自分の表面上の成功と背負っている傷つきのギャップについて考え、しんどくなってしまうことが多くなった。「どんなに重く辛いと感じる経験をしていても、私は周りから見れば成功しているわけで。もしかしたら私は周りからしたらそんなにつらくもないことを被害者ぶっているだけなのか。」コロナ禍になって独りで自分のことを考えるようになってからは、余計にその思考が増えてしまった。

そんな時に、大学の「健康」についてのオムニバス授業で、所属学科の教授の「心の傷について」という講義を受講した。私は心理学科に在籍しているけど、そういう若干曖昧なテーマについて学んだことはあまりなかったから、いつもよりちょっと画面をよく見て聞いた。

この授業で学んだのは、目に見えずはっきりとした形のない「心の傷」とは、どのように扱ったらいいのか、そもそも心をケガするとはどういうことなのか、ということ。心の傷には身体的な傷と同じで種類があり、種類ごとに原因や傷つき方・感情の変動の仕方が異なってくる。例えば、心の傷が裏切りなら原因は信頼関係の崩壊であり、感情は激しく動きやすくなる。また、心の傷が孤独であれば原因は対人関係というよりは一人になってしまったことにあるため、信頼関係が崩壊したときに起こる怒りのような激しい変動とは違い、空虚感のような静かな感情の変化が起こる。特にこのような心のケガは、同じ出来事に対して併発しやすく、そうなるとその傷はより深く残りやすいものとなる。そのような傷つきに対処するためには、感情の栄養を意識して取ったり、他者から積極的にその手法を得たりして、自分の心に癒しを与えることが大切。

そして、この「心の傷」の下位カテゴリーに裏切り・拒絶・罠にはまる・孤独・喪失などと並列して存在するのが「挫折」である。それを知って、私は気づいた。「私が心の傷 をたくさん持っているのは、挫折は心の傷の中の単なるカテゴリーの 1 つだったからかな」 と。経験したことがないため、私は挫折とは心の傷のカテゴリーに入るものというより、心の傷から派生して起きるもの、もしくは心の傷の原因となるものだと思っていたが、「挫折」が心の傷の下位カテゴリーの 1 つであるということを知ったことで、私は「挫折」は他の心のケガと同等の単なる 1 カテゴリの 1 つだから、単に私はそのカテゴリを経験しえなかっただけなのだと理解したのだ。


挫折しない理由

では、なぜ数ある心の傷カテゴリーの中で、私は挫折のみを経験しなかったのか。それは、私が本来持っている気質や、あらゆる過去の傷に影響され形成された性格が、私を挫折させない人間にしてしまったからだと考えられる。

まず、私がもともと持っている性質として“感受性が豊か”というのが挙げられる。私は 小さい頃から人の気持ちを受け取りやすく、過敏に他人の感情を推し量る傾向がある。その性質を持ったまま、小中学校で私はいじめや家族の離散危機を経験した。そこで 私は「孤独」「裏切り」「喪失」などの傷を受け、独りになることや死への恐怖を様々な状況で考えるようになり、高校生になる頃には、とにかく様々なことに不安を感じてしまう、若干全般性不安症に似た性格になっていた。また、私は元々“目立ちたがり”という性質を持っていたため、自分のやりたいことが明確であったし、人に負けることがとにかく嫌いだった。その性質も持った上で家族の離散危機や家族喧嘩の仲裁を経験したことによって、私は「しっかりしなくては」という観念を持ちやすくなった。そして、当初は「人の為に」自分がちゃんとしなくてはという意味で持っていたその観念も、年を経るうちに「自分の道を守るために」ちゃんとしようという観念に変わっていた。

この“様々なことに不安を感じやすい”という性質と“しっかりしようという観念の固定化”が、私を無自覚にストイックで完璧主義な人間にしたのだと思う。しかも私は運がいいことに、勉強やタスクを整理して行うのが得意だった。その結果、私は“要領がよく、物事をこなすのが得意な人間”になってしまったのだ。だから、私は感受性の強さと 家族などの偶然居合わせた環境によって様々な心の傷は負いやすくとも、こなす能力によ って「挫折」だけは通ることがなかったのだと思う。

 

「挫折」の理解と共感

私は挫折の共感をできないのが怖い。挫折を共感できないというのは、挫折を経験してこなかったために挫折の語彙が少なく、「挫折」の意は理解はできるけど実感はできないから、ということなのだが、19 歳になってなお挫折の共感ができないということは、これからの人生にもし挫折があった時、大きなダメージを受ける可能性が高いということではないだろうか。そう考えてしまうと、私は「高校のとき赤点とっておけば良かったのかなあ」とか、「あっさり大学に受かってしまったけど、浪人しておけばよかったのかなあ」とか思ってしまう。でも、いざそうなった場合の状況を想像してみるとやっぱり怖 い。もう、この不安症の怖がりはどうにもできないのだ。私はきっと、運とかいう偶然じゃなくて、必然的に挫折しないで生きてこれたのだろう。

そして、私はおそらく挫折のなさに救われてきた。私は元々マイペースで、気分屋で、でも自分のやりたいことははっきりしているから、「やりたいことは常にやる気、あとは楽しいことしかしたくない」という気持ちで日々を送っている。けれど、単純にその気持ちだけで生きていたら、環境に振り回されていた私は、やりたいことと辛い環境の間で板挟みになり、自分を見失っていたかもしれないだろう。やるべきことをこなせる器用さがあったから私は自分を見失わなかったし、もし挫折が私のライフイベントに加わっていたら、しんどくぎて生きていられなかったかもしれない。今まで良い人生を送ってきたとは言えないけれど、今生きてて良かったとは思えているから、私は挫折してこなくてよかったのだ。

私には「挫折」がわからない。でも私は「挫折」を理解することはできる。なら私には 挫折を客観視できる力があるんだから、その力を使って、他人の挫折というケガの面倒を見れる人になりたい。そして、「挫折」以外のケガに対して共感できる力をいかして、そのケガを表現していきたい。私の必然は、そのためにあったと思う。

 

だからこれからも、私は挫折する気はない。

きっといつまでも「挫折」に共感はできない。